レッド・ツェッペリン、ジョン・ボーナム在籍時の「ラストライブ」を振り返る(Rolling Stone Japan)

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出典元:Rolling Stone Japan

レッド・ツェッペリンのオリジナルメンバー4人による最後のコンサートは、1980年7月7日、独ベルリンのアイス・スポーツ・ホールで開催された。当日のフル音源とともに「最後の戦い」を振り返る。

【この記事の音源を聴く】1980年7月7日、ジョン・ボーナム在籍時の「ラストライブ」

1980年の春になる頃には、遠い昔の遺物となったロックンロールを象徴する恐竜的な存在を打破するために、バンドに大きな変化が必要だとレッド・ツェッペリンは自覚していた。パンクとニューウェイヴが台頭してきたこの頃、ツェッペリンが努力して上り詰めたスタジアム級の人気が、大げさで味気のないものに見えるようになっていたのだ。そこで、6月から7月にかけて14公演のヨーロッパツアーを承諾した彼らは、このツアーを余計なものをすべて削ぎ落とす機会にすると決めた。非公式に彼らはこのツアーを「カット・ザ・ワッフル」(訳注:“無駄口を省く”の意)と名付けていた。

それまでの10年間、彼らのライブの大半が儀式化されていた。ジョン・ボーナムの壮大な「モビー・ディック」のドラムソロから、「幻惑されて」でのジミー・ペイジの弓弾き、「ノー・クォーター」に入るジョン・ポール・ジョーンズの優美なキーボード・イントロまで、多くが定番となっていたのである。そして迎えた1980年のこのヨーロッパ・ツアーで、これらの定番パートはすべて削除された。とは言え、「天国への階段」「カシミール」「胸いっぱいの愛を」などの定番曲を外してライブを行うことは無理と考えた彼らは、定番曲だけは残した。

そしてステージセットも劇的に簡素化され、それまで演出として使っていたレーザー光線、スモーク、巨大なスクリーンが完全に姿を消した。加えて、メンバー全員が髪を短くし、服装も地味なものになっており、時折ニューウェイヴ・アーティストが好む細いネクタイを着用するという冒険すらすることもあった。この時点でMTVが登場するまでまだ1年ある。しかし、音楽界を大きく変える変化の波が寄せつつあるのは明らかで、大御所ツェッペリンとて生き残る方法を探さざるを得なかったのだ。

このツアー時の公演の多くが録音されていたが、プロ仕様の映像は記録されていなかった。唯一残っている記録映像はアマチュアがスーパー8で撮影したものだけだ。今回はオリジナルのラインナップでのラストコンサートの音源を紹介する。録音されたのはドイツのベルリンで、1980年7月7日だ。オープニング曲は「トレイン・ケプト・ア・ローリン」。この曲は1968年の頃からライブで演奏し続けてきたものだ。そしてコンサートの締めを飾ったのは、バンドをブレイクさせた1969年のシングル曲「胸いっぱいの愛を」だった。

このライブの2週間ほど前、ニュルンベルグ公演で3曲を終えたあたりでボーナムがドラムセットに倒れ込み、そのときの公演は中止された。それ以降の公演は何事もなく無事に行われたのだが、ボーナムのアルコール中毒はまったく手に負えない状態にまで深刻化していた。そして、1980年9月25日、前夜にウォッカショットを40杯ほど飲んだ彼は翌日、突然逝ってしまった。

この時点で、レッド・ツェッペリンはすでに秋の北米ツアーのチケットを販売していた。そのため、ボーナムの代わりのドラマーを入れて(1978年にキース・ムーンを失ったザ・フーがそうしたように)北米ツアーを続行するという噂が流れたのだった。しかし、このツアーは握りつぶされ、12月にレッド・ツェッペリンは公式に解散を発表した。

もしボーナムが存命だったらレッド・ツェッペリンがどれほど長くバンド活動を続けたのかは、今となっては予想すらできないが、1980年のライブ音源を聴く限り、彼らはまだまだ続ける気満々だったことが分かる。

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