門脇麦&水原希子が振り返る、“道が拓けた”と感じた瞬間のこと(映画.com)

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出典元:映画.com

世を騒がせた“女性蔑視発言”事件における「女性っていうのは――優れているところですが――競争意識が強い」という発言しかり、その後任候補と目された女性たちを並べ「女のバトル」と囃し立てるような報道しかり、女性同士の対立や分断を煽るような言説がいまだにまかり通っている。そんな風潮とは一線を画し、立場は違えども強く生きる女たちが優しく互いの背中を押すような温かい希望に満ちた映画が誕生した。山内マリコの小説を若き俊才・岨手由貴子が映像化した「あのこは貴族」。生まれも育ちも対照的ながらも、東京という街を生きるヒロインを演じた門脇麦と水原希子が本作について語り合った。(取材・文/黒豆直樹)

 東京の上流家庭に育ち「結婚=幸せ」と信じて疑わずに生きてきた華子(門脇)と、地方から上京し、挫折を味わいながらもたくましく日々を生きる美紀(水原)。異なる“階層(せかい)”に生きる2人の人生が、ひとりの男性の存在を通じて交錯していくさまが描き出される。

 映画は、正月恒例の食事会で家族と引き合わせるはずだった恋人に直前で振られてしまった華子の物語から始まるのだが、不思議なことに華子は主人公であるのにもかかわらず、終盤のごく一部を除いて、その“表情”の印象がほとんど残らない。

 門脇「確かに華子を演じる上で、意識的に表情をつけていくことはしていないですね。華子って意思も自我もなくて、周りの人物たちとの芝居の積み重ねの中からしか生まれてこないキャラクターなんですよね。今回、私は現場では監督と役柄についてはほとんどコミュニケーションをとっていなくて、監督も私も華子が最終的にどうなるのかわかっていなかったと思います(笑)。だから(結婚相手となる)幸一郎さん(高良健吾)を前にすると、こんな顔をするんだとか、お母さんたちの前ではこんな顔だよねとか、シーンごとにその都度、少しずついろんな顔が見えてくるという感じで、究極の受け身で何をやっても手応えがなく、日々不安でした(笑)」

 美紀は、猛勉強の末に名門大学に合格し、希望を胸に富山から上京するも家庭の事情で中退を余儀なくされる。都会の厳しさに跳ね返されながらも、東京にしがみつき、必死に生きている。モデルとして10代の頃から活躍し、華やかな世界を生きている印象のある水原とは正反対のイメージの女性像にも見えるが、水原自身は華子という役に自らを重ね、強く共感したという。

 水原「世間の人たちは、私のほうが華子役じゃない? って思うんだろうとは思いましたが(笑)、私自身、神戸から東京に憧れを持って出てきたというのもありましたし……。そう言うと『神戸は田舎じゃない』って言われるんですけど、本当に場所によりけりなんですよ(笑)。私自身もちょうど、起業したタイミングで話をいただいて、リンクする部分がたくさんありました。演じる上では、どのシーンも『わかる』ということ、経験したことがある感情ばかりだったので、変に考えずに力を抜いて臨んでいました。これまで出させていただいた作品では、いつも緊張して考え過ぎていたんですが、今回は本当に『大丈夫かな?』というくらい、力を入れずに現場にいましたね」

 そんな、違う世界に暮らす2人が、映画の中でたった2回だけ交錯する。幸一郎と美紀は数年前から美紀とつかず離れずの関係を続けており、華子の友人であるバイオリニスト・逸子(石橋静河)を介し、2人は日本橋のラウンジで初めて顔を合わせる。そこで華子は、美紀に“あるもの”をプレゼントするのだが……。門脇と水原にとっても、そのシーンの撮影が初対面だった。

 門脇「あのシーンは正直、どうなるのか全く想像がつかなかったのですが、静河ちゃんが演じた逸子の存在がすごく大きかったですね。最初にお話しした山内さんの小説の地の文の魅力――そこをナチュラルにセリフとして言ってくれるのが、逸子だったり、山下リオちゃんが演じた平田(美紀の同級生)だったりするんですよね。華子はあのシーン、実は深く何かを考えてとっている行動ではないと思うのですが、ただあのプレゼントを含め、美紀に『ああ、この子には届かないんだな』と戦意を喪失させるような感覚を抱かせないといけない。そこは、衣装も含めて監督と慎重に話し合いを重ねました。今回、洋服選びを特に大事にしたんです。“お嬢様”と言っても、全身ブランドものを着てるかというとそうじゃないだろうと。華子はきっと自分の意志で服を選んだこともなく、母親から『これ着なさい』と言われたり、姉のおさがりをもらったり、祖母のつけていた真珠のネックレスなんかを着けているんじゃないかなと思ったんです。バリバリ『戦いに来ました!』みたいな、例えば白ワンピース! とかじゃなくて、ともすれば地味な普通の格好で、すっとあのプレゼントを差し出すほうが、華子の育ちの圧倒的な“何か”が出るんじゃないかって。本当に華子というキャラクターはとっかかりが少なく、非常に悩むことが多かったのですが、あのシーンをやってから少しだけ見えた気がしました」

 そんな門脇の思惑を、水原もそのまま美紀として受け止めた。

 水原「いや、本当に華子があのまんまなので(笑)、受け止めるというか、どんな人が来るのか? と私自身も美紀としても緊張していたんですけど、ピュア過ぎて笑っちゃうような感じでしたね。同じ場所にいながら同じ世界にいないというか、同じ言語を話すのかな…? というくらいの感じで。でも、あのシーンでみんな華子を好きになると思う。憎めないんですよ。『大丈夫?』って心配にさえなっちゃう(笑)」

 2人の2度目の邂逅は映画の終盤にかけてのシーン。華子は幸一郎と結婚しており、美紀は友人の平田の誘いを受けて起業している。タクシーの中から、自転車で東京の街を走る美紀の姿を見つけた華子は、タクシーを降りて思わず美紀を呼び止め、華子は美紀の部屋を訪れることになる。

 水原「あのシーンは難しかったですね。『なんでこの子、うちにいるんだろう?』って(笑)。生きていく中で『何してんだろ?』って不思議になる瞬間ってあるじゃないですか? まさにそんな感じ。人生の変なモメントですね(笑)。噛み合わない2人のとんちんかんなやり取りも含めて、『(華子には美紀の言ってることが)わかんないだろうなあ』と思いつつ、最終的にすごく好きなシーンになりました」

 なぜ華子は美紀を呼び止めたのだろうか? そしてなぜ彼女の家まで足を運んだのか? そこに明確な答え(=意思)がないことこそ「この映画の面白さであり、岨手監督っぽさだと思います」と門脇は言葉に力を込める。

 門脇「美紀は自分で決断し、選択しながら成長していくのでドラマチックで見ていて共感できる存在だと思います。でも、華子はそうじゃない。あの時も、華子はなんとなく美紀を呼び止めちゃったんだと思うんです。華子が意思を持って、変化を求めて美紀を呼び止めて家までやってきたようには見えない方が面白いなと思ったんです。人生って意外と自分の選択じゃなく、わけわからないままに動いて、後から振り返るとあの時…ということが多々あると思うんです。ふと言われた何気ない言葉がなぜか刺さったり。その方がリアリティがあるなと思ったし、部屋でのシーンも2人が団結するとか、あれが華子にとって節目の瞬間だったって強調するんじゃなくて、後から『ああ、そういえばあの時、美紀さんとアイス食べながら東京タワー見たな』と思い返すくらいがいいんじゃないかって。だから、あのシーンで一番心に残っているのは会話じゃなく、美紀さんの部屋のものなんです。華子にとってはたぶん美紀の部屋は、きっと母親や姉が選んだものしかない自分の部屋と違って、美紀の好きなもの、選んだものしかない部屋で、すごく羨ましいなと思ったのではないかと思います」

 改めて完成した作品について、水原は「自分の演技のことはわかりませんが、映画として本当に素晴らしいな、こんなに温かい映画になっていたんだなって感動しました」と笑顔を見せる。冒頭でも記したが、この映画が描くのは対立や分断ではない。「女の敵は女」などというステレオタイプな見方で異なる立場の女性たちの対立を煽り、それをエンタメ化するわけでもなく、幸一郎や彼の家といった存在さえも、“敵”として描くのではなく、ヒロインたちがそれぞれに一歩を踏み出していくさまに優しく寄り添う。

 水原「華子と最初に会うラウンジのシーンも、セリフのニュアンスひとつ、ちょっとしたトーンで嫌味な言い方になったり、とげとげしくなってしまうので、そうならないようにと慎重に、慎重にやったんですけど、それがちゃんと映っていて嬉しかったです。すごくいい共存なんですよね。環境も違うし、わかり合えないかもしれないけど、共存はできる。“いま”の時代に必要とされているメッセージが込められた映画だなと思います。美紀って決してインテリじゃないし、思想的な部分でフェミニズムとか、男社会の構造がわかっているわけでもないんです。あの状況で毎日がむしゃらに頑張るしかなくて、必死に東京にしがみついている。どこかであきらめもあって、例えばもし酔ったおじさんに電車で触られても『まあしょうがないか。そんなもんだろ』と思ってしまうような“呪い”にかかっている部分もあったかもしれない。でも、この映画の中でブラッシュアップされていくし周りにも気づかされていく。だから、仲間の存在もすごく大事なんだなってこの映画を通じて感じました。恋愛ではなく、同じ目的を持った仲間――やりたいことをやろう、前に進もうって思えるってすごく大事だなと思います」

 最後に門脇、水原、それぞれに華子や美紀のように、大人になってから“道が拓けた”“新しい自分に気づいた”と思えた経験について教えてもらった。

 門脇「私はこの仕事を始めて割とすぐにオーディションで大きな役をいただいて、運良く作品に恵まれ、新人賞などをいただき、仕事をオーディションなしでいただけるようになった。でも実力が伴ってないことへの負い目がすごくあって、『私なんかで申し訳ない』というメンタルで5~6年くらい仕事をしていたんです。好きで始めた仕事だけど、日本って何かクリエイティブなものを生むには自分を追い込んだり、苦しんでなんぼってところもある気がしていて、自分でもそういうマインドで仕事に臨んでいました。でも、ある舞台(『わたしは真悟』)でフランス人の演出家の方(フィリップ・ドゥクフレ)とご一緒したんです。日本人ってできないとすぐ『すみません』と言ってしまうんですけど、その方に『謝らなくて良いんだよ。いまのはナイス・トライで、君は私に新たな材料を提示してくれて、イマジネーションを動かしたんだから。どんどん好きなことをやれ!』と言われたんです。楽しむことからしか良いクリエーションは生まれないからって。それで180度概念が変わりました。『え? この仕事、楽しんでいいの?』って。仕事を楽しんでやるようになると、プライベートも良い方向に代わりましたし、大切な人を大切にする余裕も生まれる。それを機にいろんなことが楽しくなりました」

 水原「私は10代からモデルをやってきて、写真芸術が好きで極めたいと思っていたんですが、偶然、『ノルウェイの森』のオーディションを受けて、芸能や女優の仕事をいただくようになったんです。自分に自信はないけど、周りはそんなふうには見ないから、期待に応えようととにかく頑張って。ここ数年、アメリカでもダイバーシティを意識して、アジア人や黒人も積極的に起用しようという流れになって、4年ほど前にエージェントに呼ばれてアメリカに行ったんです。やっとチャンスがと思って行ったんですが、いざ行ってみると、自分というよりも“アジア人”という枠の中で扱われていることを感じて、いたたまれなくなって疲れて落ち込んでしまったんです。そんな時、カリフォルニアの友人と女ばかりでロードトリップに行って、そこでメイクも自分でして、カメラマンの友人に撮影もしてもらったんですけど、その写真がすごく美しくて、漠然と『何かを作るってこういうことなんだな』って感じたんです。ピュアな気持ちでやりたいことをリラックスして楽しめばいいんだって。『やりたいことをやる』って簡単に聞こえるけど、実際には難しい。でも自分に正直になって発信していこうって、そこからブランドを立ち上げたり起業することになって、自分にとって、大事なターニングポイントになったなと思います」

 まさに映画の中の華子と美紀さながら、異なる環境でキャリアを歩み、交錯した2人の人生がこの先、どんな軌跡を描くのか? 彼女たちの生き方がいまを生きる女性たちの背中を押してくれることを願いたい。

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